NPO法人ともに生きる街ふくおかの会: タイ・ペッチャブーンだより(第2弾!!)が届きました!

2017年11月2日木曜日

タイ・ペッチャブーンだより(第2弾!!)が届きました!

 6月にともいき会員で、現在はタイで日本語を教えていらっしゃる田籠さんよりいただいた、タイ・ペッチャブーンだよりをご紹介しましたが、今回はその第2弾です!!
 ちょうど、就学・進路相談会2017(第2回)を開催していた10月29日(日)にいただきました。活動の日に、ともいきのことを思い出して書いて、送ってくださったことに嬉しく思います!

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 前に便りを出してから、少し間が空いてしましました。今日まで夏休み、明後日(10月31日日)から新学期が始まります。
 1学期の間、実に色々なことがありました。その一つは、たくさんの行事です。「タイの行事は盛りだくさん」です。ここまでを振り返って、思ったことを綴ってみたいと思います。

 色々ありますが、ここに来てよかったと思っています。色んなことを振り返ったり、確認したりする機会が与えられました。

 前期終わりの頃の私は、よくイライラしていました。それは、この国の悪く言えば無計画な、よく言えばおおらかな体質に振り回されていたからでした。
 例えば、日本語コンテストというものがあります。日本語でのスピーチや1枚の写真より文を作る部門、硬筆や辞書早引き競争などもあります。このコンテストの日程がころころ変更になったり、出場者が変更になったり、そのたびに新しい原稿を書いたり、連絡をしなおしたり、振り回されるのですが、日本社会の枠組みの中で、「ねばならない。」と思い込んで生きてきた私には、辛いことでした。日本のこのきっちり感は、非常によいところでもあり、人によっては、息苦しさを感じるところなのかもしれません。

 さて、外国人として暮らす私には、時々困ったことがあります。
 その一つは、ご飯を注文する時です。時々タイ人の先生とご飯を食べに行きます。「何にしますか?」と、聞かれます。気を使って何を食べますか?と聞かれているんだと思います。しかし、メニュー表は、タイ文字表記、英語も写真もこの町のメニュー表にはありません。じっと見て、知っているタイ文字を見つけ注文しますから、毎回同じものを食べます。
 そんな時、なるほど・・・・と思うことがありました。数校が集まって、日本語を学ぶ。日本語キャンプの時です。生徒たちの活動中、先生たちは、休憩。飲み物を注文することになりました。またしても、何にしますか?と言われて、メニュー表と格闘していた時、他校の先生から声をかけられました。

「センセーは、何にしますか?私のおすすめは、○○です。でも、コーヒーもあります。」

 こういわれると、注文しやすいですよね。もちろん、おすすめにしました。「あなたは、何にする。」日本でも、こう言われて、困っていた子たちが、いたんだろうなと思いました。

 もう一つだけ、学ぶってこういうことなのだ。と思うことがありました。
 5月末から、卒業生に日本語を教えていました。本題に入る前に、タイの中等学校は、5月はじまりの2月末終わりです。3月と4月は、学年間の休みです。しかし、大学の始まりは、8月か9月です。その間学生は、アルバイトをしたり勉強をしたりするそうです。そして、彼は、中国人の先生が赴任するまで、もうひとりの女の子と中国語の授業を担当していました。こんな風に、卒業生が先生をします。

 では、本題です。世の中には、語学習得能力にたけている人がいるものです。
 彼は、あっと言う間にひらがな、カタカナを自学習得し、「みんなの日本語」が読めるようになりました。2か月ほど学習した時には、簡単な会話は、できるようになっていました。そんな彼がバンコクに行く事になりました。バンコクに行って、日本人と話がしたいと言います。

「できますか?日本人は私を怖がりませんか?」

 というので、魔法の言葉を授けました。

 それは、「私は日本語を勉強しています。」

 この作戦が成功して、たくさんの日本人と話ができ、友だちにもなったようです。(日本人のひとのよさに付け込んでみました。この先、外国で、日本語を勉強しています。という人が近づいて来たらみなさん、要注意です。)
 その彼が言いました。

「以前、バンコクに行ったときは、後ろに日本人がいました。話したかった。でも、話すことはできなかった。今回は、たくさんの日本人と話ができて、私は、とても幸せです。」

 言葉を学ぶと生活が豊かになる。きっと、彼が見た、夕焼けは、うつくしかっただろうと思います。(江口いとさんの『夕焼けがうつくしい』という詩があります)何のために学ぶのか。習得した言葉で何を話すのか。(もちろん、個人の能力に差があるものの、)そのことは、言葉を習得するうえで、大変重要なことであることを再認識した1件でした。